うつ病者は不当な批判にさらされている☆体の怪我は見えるが、脳の怪我は見えない

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うつ病者は、 心理的には崖っぷちで何かをしている


ということが理解できないと、 なかなかうつ病の言動は理解できない。

外側だけを見ていけばうつ病になる人は、
時に、 「あんないいことばかりして何が不満なんだ」 と思われることも多いからである。

うつ病者は正体不明なものに脅かされている。
何でこうなるのか本人も理解ができない。

うつ病はモラルの問題ではなく、

脳内化学物質の問題であるという点の理解が大切である。


ある時、 テレビで視覚障害者がサッカーをしているところが放映された。
すると皆が「偉い!」と言う。

しかしうつ病者がサッカーをしても「すごい!」とは言わない。
うつ病者が何もしないでいる姿を見て、 人はうつ病者の「やる気」のなさを批判する。

その点でうつ病者は不当な批判にさらされてきたと言うべきである。


「できない」ということが 普通の人に理解できないからである。
足の裏に怪我をした人が「歩けない」と言えば普通の人は理解する。
それは人は足で歩いていると思っているからである。

人は足で歩いているのではない。
人は脳で歩いているのだ。

― 心の休ませ方 加藤諦三著 PHP研究所 より ―




ここでの「普通の人」とは何でしょうか。
これは、唯我独尊的思考の人のことだと思います。

小さな小さな自分の物差しで、
わずかしかない自分の経験で、物事を判断する人のことだと思います。
自分の意見と異なることには否定しか出来ない人ということです。


確かに、人間は自分の経験則で物事を判断します。
それでも、 「何故なんだろう」 「どうしてなんだろう」 と考えることが欠如していては 人間としての成長がないのですね。

人間は、未熟です。
完璧な人など存在しないのです。

だからこそ、 自分とは異なる考えや知らないこと、
小さな自分では想定も出来ないことが 一杯あるということを認識するべきなのだと思います。


未熟なことを嫌悪する必要はないと思います。
自分は未熟だと考えることが出来るということ、
これはとても素晴らしいことだと思います。

時に、わかったような顔をして「理解している」なんて人も見かけます。
これは、専門家と称する人にもたくさんいます。


うつ病の方に、
いじめを受けている子供たちに、
DVで苦しんでいる方に、
それ以外の苦しい悩みをお持ちの方に、

「私には、想像も出来ないほどの苦しみをお持ちなのでしょうね」
こういう姿勢だと思うのです。

残念ながら、そういう姿勢がない人が多い人間の世の中であって、
そういう人が多いという一点から、
この理不尽な世の中においては、それが普通の人ということになるのだと思います。

そうであるならば、
「普通」と呼ばれる多数派には入りたくないものです。



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